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2011年1月

◎「ウチ」と「ソト」:(Y)

 日曜日に政治討論会の番組を見ていました。

 野党側から質問を受けた与党側の議員のAさんの発言で、あららら・・と。

Aさん:「・・・その件につきましては、B大臣のところで検討をして

     おりまして、私は存じ上げていないのですが・・・」と。

 これは不慣れな現与党のことだからと揶揄されているレベルではなく、

 社会人としての敬語の基本ですね。

「ウチ」と「ソト」で考えた時に、ソトを立てるのが、尊敬語、謙譲語。
  ・B大臣は、Aさんと同じ党の議員ですから
「ウチ」

  ・質問をした野党議員。それに、他の議員、司会者、視聴者は「ソト」

Aさんは、身内であるBさんにかかわる事に謙譲語を使って、

それを「ソト」の人に聞かせていることになりますね

   ただ、私もこの類の言い方をしてしまうことはありますので、
             これを他山の石として気を付けたいものです

   

  

  

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◎クローバーにいやされて(A.Y.)

   昨年お会いしたMさんから、クローバーの押花入りの名刺を
いただきました。

Mさんは、Photo_14

四つ葉は“幸運・幸福”、

五つ葉は“金運アップ”、

七つ葉は“最大の幸運、健康運・長寿

ですけど、どれにしますか・・・と。

         

    私は一瞬迷って、「う~ん、四つ葉を」・・と
   本音は五つ葉だったかもしれません。

 
 
  今年になってMさんのブログを発見して、

 読ませていただいています。
 Mさんの活動の素晴らしさ、
 バイタリティのある活動は次の機会にご紹介します。

今、私の携帯の待ち受け写真は、
四つ葉のクローバーの写真です。Photo_3

           Mさんとの出会いで、
         
待ち受け写真に癒されることを体感しています

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◎ちょっといい話(一期一会)

  先日日友達と下町のある交差点近くのビルの2Fにあるコーヒーショップで待ち合わせをした。少し早く着いたので行き交う人をそれとなく眺めていた。

  そのうちに道路を隔てた信号待ちの80歳くらいの老人男性と歳の頃45歳ぐらいの女性が 目にとまった。信号が青に変わり二人は7~8mぐらいある横断歩道をわたり始めた。 するとその女性は少しして男性の後からゆっくりゆっくり歩いて来る。そのうち信号が 黄色になったが、老人はわたりきる一歩手前にいた。「ああそうだったのか」彼女はその老人が青信号のうちにわたりきれないであろうことを察して彼を保護していたのだ。若い頃はすぐわたれる横断歩道。だが歳を重ねるとなかなか思うように足が進まない。その老人は親切にされたことにも気がつかず、目的地に向かって一人で歩いて行った。

  今度はその親切な女性がわたりきったところで、重そうなスーパーの袋を路上に置き青信号に変わるのを待っている70歳台前半くらいの女性がいた。見て見ぬ振りができなかったのか彼女はそのずしりと重いスーパーの袋を持って、その女性と肩を並べ横断歩道をわたって行き感謝の言葉をかけられているようであった。

  昨今電車の優先席で若者が目の前に老人が立っているにもかかわらず寝たふりをして席を譲ろうとしない光景を目の当たりにする。これに比べてこの女性の行為は何と心温まるものであろう。思っていてもなかなか実行に移せるものではない。

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◎握った手に込められた想い (M.K.)

 毎年10月、新人社員を連れて知的障がい者施設を訪れています。
 障がいのある方々とのふれあいを通じて、「相手の立場に立ったコミュニケーションとは何か」を考えることが狙いです。
 約半日、40名の障がい者の皆さんと一緒に、木工や陶芸、ハーブづくりといった作業を行います。
 今年は、ペットボトルのリサイクル作業を行いました。ペットボトルを各テーブルに運ぶ人、ペットボトルのラベルをはがす人、ペットボトルを足でつぶして袋に詰める人。担当する作業も違えば、作業の量や速さも違います。皆さん、自分のできることを楽しそうに行っています。
 私たちも作業に入りました。最初は不安げな顔を見せていた新人も、5分と経たないうちに積極的に取組み始めました。

 そんな時です。
 新人Aが困った顔をしています。
 障がいを持ったBさんとのやりとりです。
  「Bさん、私と一緒に作業しませんか?」
  「Bさん、私と一緒にこれをあっちへ運びませんか?」
  「Bさん、あとこれだけ頑張ってみませんか?!」
 いくら声を掛けても、Bさんは、なかなかイスから動いてくれません。目を腕で覆い隠してイヤイヤの状態が続きます。それでも新人は、笑顔を見せながら声を掛け続けていました。

 そして、作業終了の時間がきました。
 「お疲れ様でした」の号令とともに、私たちは作業室を離れたのですが。
 なぜか、その新人Aだけ作業室から戻ってこないのです。
 作業室に戻ってみると、Bさんが新人Aの手をギュッと握って離してくれないようです。
  「Bさん、ホントはAさんと作業したかったんだよね~(笑)」
 職員の皆さんからは、そんな声も聞こえます。

 誰もが言葉を自由に扱えるわけではありません。
 でも、何かを伝えたいという想いは誰にでもあります。
 
 Bさんがギュッと握って離さなかった手。
  「ありがとう」という想いが一杯込められていたのではないでしょうか。
 
  「言葉によるコミュニケーションが全てではない」
 そんなことをふと思った出来事でした。

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◎お節介といわれても・・・(tako's)

この夏、息子と温泉へ行った。
行きの電車内でのこと、通路を挟んだ隣の席に年配のご夫婦、後ろの席には乳幼児を二人
連れた若い夫婦が座っていた。
出発してしばらくしたころ、後ろからお母さんのヒステリックな声が聞こえてきた。
どうやら、子供がお茶をこぼしたらしい。

「なにやってるのよ!! もう!! いっつもそうなんだから!! ・・・・・・」

もう、お母さん止まりません。 お父さんは無言でお手上げ。
なんだか、自分を見ているような気がした。そして、
『あ~あ、こうなったら、止まらないのよねぇ~、わかる、わかる~』と思った。
ふと、子供のことが気になり後ろの席を見ると、親に言い返せない男の子が
目に涙をためてふくれっつらをしていた。せっかくの旅なのに。
その姿が、息子の小さいときと重なって、私はたまらず声をかけた。

「ねえ、ボク、前の席に遊びに来ない?」

ずーっと文句が続いていたお母さんはちょっとびっくりした様子で顔をあげた。
男の子はちょっと戸惑っていたが、

「おいでよ、じゃんけんぽんしよう。」と言うと、
ニコニコして私の席に来た。年は2歳。
しばらく私のひざで遊んで、すっかり機嫌も直ったようだ。
その時隣のご婦人が言った。
「かわいいわねぇ、でも、貴女は保育士さんのような職業なの?
今どきめずらしいわよ、そうやって声かけるなんて」

すると、すかさず横から息子がひと言、「ただ、おせっかいなだけです!

私は思う。お節介でいいじゃない。
お節介を受け入れてくれたお母さんに感謝です!!
もっと気軽に世話を焼いたり焼かれたりする関係が築ければ、日々マスコミを
賑わすような悲しいニュースが減るように思えてならない。
少なくとも私のお節介は続くだろう・・・

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◎口は一つに耳二つ(中島正)

口は 一つに、耳 二つ。
 されば いふこと 少くて、多く きく こそ よかりけれ。
口は 一つに、目は 二つ。
 されば 多くを 見て 知りて、えきなき はなし せぬぞ よき。
口は 一つに、手は 二つ。
 されば のみ くふ ことよりも、二ばい はたかけ 二ばい はたらけ。
 (注:さればは だからの意)

 ご紹介したのは、明治二十年の教科書「尋常小学読本1」に掲載されている文です。当時の小学一年生は難しい文でも音読を繰り返して覚えたようです。
 その時は意味が分からなくても、繰り返していくうちに、また年をへるに従い理解していったのでしょう。それはやがて子ども達の精神の基底をなしたのかも知れません。
「ニばい はたらけ ニばい はたらけ」の表現は多少疑問が残りますが、西欧列強からの植民地化を排し、富国強兵を目指した明治政府の思惑が見て取れるようです。今の時代には受け入れられない考えかも知れません。
 口は一つなのに耳は二つありますね。それは何故ですか。口は一つなのに目は二つありますね。それは何故ですか。この二つの問いかけはコミュニケーションの本質を衝いていると私には思えます。耳を傾け人の話をよく聞きましょう。見て、観察して相手や物事を深く理解しましょう、と小学一年生から教えていたことは素晴らしいと思います。
 このような教育の有り様が明治時代の日本の強さだったのでしょうか。私は小学生の子ども達とコミュニケーションについて一緒に学ぶ場を作れないかと考えています。子ども達が生き生きと生活し、学び、成長していける環境を作ることが今求められているのではないでしょうか。

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