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2009年12月

◎コミュニケーションで「確認」していますか(一期一会)  

  先日、友人から歌舞伎見物のお誘いを受けた。「明日、一緒に歌舞伎を観に
 行く予定だった友達が、急用のため行けなくなった。切符が無駄になるので
 都合がついたら一緒に行きませんか」との電話である。
  あいにく、私も小用が2件入っていた。「予定があり、明日の午後2時過ぎに
 ならないと確約できない。行けなくなったとき申し訳ないから他の方に声をかけ
 てみて下さい」と返答した。
  友人は、「では、他の人を探してみるけど、行ける人がいなかったら、また連絡
 します」といって電話を切った。
 
  その夜、彼女から再度連絡が入った。「行ける人がいないから、都合を付けて
 ほしい」という。結局、私の都合次第ということになった。
  当日の歌舞伎は、前々から観たいと思っていた演目であり、何とかやり繰りして
 お誘いを受けることにした。

  そのプロセスから、私は、今回の歌舞伎見物は、当然「招待」と考えていた。
 しかし、念のため彼女に入場料金を聞くと「○○○円」という。そして、その代金を
 差し出すと、彼女は躊躇することなく受け取った。
  その時、私に疑問が湧いた。「無駄になるかも知れなかった切符だ。私なら喜ん
 で招待する。負担して頂く場合でも半額が一般的ではないだろうか」と。
  残念なことに、ちょっと気の重い一日になってしまった。

  だが、その要因は私にもあった。それは、私がコミュニケーションの基本である
 「確認」を怠ったこと、「自分の常識は他の人も同じ」と決めつけてしまった
 ことにある。彼女とのやり取りの段階で、切符代のことを確認しておくべきであったと
 反省している。

  ともあれ、せっかくの歌舞伎見物に水を差してしまったが、救いがあった。それは、
 当日の歌舞伎が期待していた以上に素晴らしかったことである。

◎コミュニケーション不足は無駄も生む(tako's)

  ある朝、通勤電車のなか、2人の女子高生の話が耳に入ってきました。
 最初は、授業や友達の話題で楽しそうに話していました。
 そのうち、お弁当の話になりました…

   「うちのお母さん、ご飯少しでいいっていうのに沢山入れるんだもん。
    太っちゃうよ。」

  う~ん、私も弁当のご飯を少ししか詰めずに母に驚かれたことがあった
 なぁ~と思い出した。 しかし、次の会話が…

   「うちもそうだよ。だから毎日、食べる前に半分捨ててるよ」
   「えー? 捨てるの?」
   「だってお母さんに言ってもだめだし、食べたら太っちゃうもん」 ……

  後ろに立っていた私は、びっくり!! 思わず両手を握り締めていました。

  確かに、食べる量を気にする年頃かもしれない。しかし、それなら自分
 で詰めてはどうでしょう。 言ってもだめだなんて思わずにもっとお母さん
 とちゃんと向き合って会話をしてみたらよいのではないでしょうか。
  お母さんも、娘の体のことを思って沢山食べて欲しいと思うのでしょうが、
 娘の言うことを頭から否定せず、聞く姿勢が大切ですね。

  たとえ親子でも、話さなければわからないことだらけですし、
 話したところで相手がちゃんと理解しているかどうか確認しないとわかり
 ません。
  我が家でも、「さっき言ったじゃない!」「聞いてないわよ!」
 というやりとりが、残念ながら度々あります(^^ゞ

  私も、今は「母親」の立場で、子供の言うことをまずは受け止めようと
 努力しています。
  コミュニケーションをとることで、こんな無駄が省けると良いですね。

◎信頼関係(小島)  

 これから紹介するのは40年前、私が小学校5.6年生時に担任であったK先生の
お話しです。
 先生は、クラスのみんなから慕われていました。
 成績によるえこひいきなどは全くせず、そして何より私たち生徒のことを一番に考え
てくれた 先生でした。

 B君は、男子・女子の区別なくクラスのみんなから人気がありました。小学校の
イベントといえば、昔も今も「運動会と修学旅行」ですが、喘息があったB君は、夜に
発作がでるかもしれないという理由で、宿泊のある修学旅行に行くことができません
でした。
 そしてクラスでもうひとり、A子さんという女の子も参加することができませんでした。
A子さんは,病気のため学校を休むことが多く、しかもとてもおとなしい性格でした。学
校に来ても3、4人ほどの心優しい友達(もちろん女の子です)としか話をすることがあ
りませんでした。

 この頃の子どもは元気なことが普通です。
 そんなクラスメイトから見れば、とても静かな存在である彼女は、ある意味、どこか
印象の薄い女の子と映っていたのも事実でした。こうしてクラスで一番の人気者B君
と、クラスで一番目立たないA子さん、この二人が残ることになりました。

 修学旅行から無事帰ってきた私たちは、授業再開の日、まだその興奮を残していま
した。
 映画のワンシーンのように私の脳裏に焼きついている記憶は、K先生から生徒たち
への呼びかけから始まりました。
 『行けなかった二人にお土産を買ってきた人は、(B君とA子に)渡しなさい』
 『はーい』という返事とともに私達は動きまわり、お土産を渡して席に着きました。
 そこに現れたのは、B君の机いっぱいに積まれたお土産と、4つのお土産が置かれ
ているA子さんの机でした。

 私達の意思に関係なく突然現れたこの現実に、B君もA子さんもそしてクラスの全員
が戸惑いました。教室がシーンとなり、やがてA子さんの嗚咽が聞こえてきました。そし
て目の前の多すぎるお土産と肩を震わしているA子さんのうしろ姿をみていたB君も
泣き出しました。
 K先生は落ち着いた声でB君に言いました。
 『もらったお土産の半分を、A子にあげなさい』。
 この思いもよらない現実に、当事者の二人と同じように私たちもショックを受けました。
ショックを受けたから、教室が静まり返ったのです。それは無邪気な善意が、時として
人を傷つけてしまうことに気付かされたショックでした。
  K先生はショックの代償として “人を思いやる気持ち”と“他人の痛みを知る大切さ”
を私たちに教えてくれたのです。

 後日、K先生は修学旅行に行くことができなかったB君を、友達と一緒に釣りに連れ
て行きました。A子さんに対しても何かしらのフォローをしたであろうことは想像に難くあ
りません。
 その時きっと『あの時は辛い思いをさせて悪かったな』『先生、私は大丈夫よ』という
ような、信頼関係に結ばれた会話が交わされていたのではないかと思うのです。

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